エンジンの匂いが、帰り道の風に混じっていた。
ようこそ、自動車ブログ「CarLifeJournal」へ。
運営者のCLJと申します。
このページに足を運んでくださり、本当にありがとうございます。
私がこのブログを始めたのは、クルマという存在に感じてきた特別な親しみと敬意を、言葉で綴りたいと思ったからです。
そしてその感情のルーツは、思い返せば、“社宅の下にあった自動車工場”の風景にありました。
「いつもそこにあった」父の働く姿
私が育った家は、タクシー会社の整備工場が入ったビルの上の階にありました。
つまり、家のすぐ下が車の整備工場だったのです。
父はその工場で整備士として、毎日何十台もの車両に向き合っていました。
子どもながらに頻繁に工場へ入ることはありませんでしたが、登校の朝、そして下校の帰り道──
毎日のように、父がオイルにまみれた手で車の下にもぐり込み、黙々と作業する姿を目にしていました。
無口で頑固だけど、作業だけは誰よりも丁寧で、仕事道具を扱う手つきに、私は何とも言えないかっこよさを感じていたのです。
工場は、遊び場ではなく、学びの場だった。
たまに遊びに降りていくと、タイヤの山や工具棚、部品の山に囲まれながら、父の横顔をじっと見ていました。
まるで先生のように頼もしく、そして誇らしかった。
車の下で聞こえる金属音、油の匂い、うっすら響くアイドリング音。
それらは、私にとって“生活音”であり、“学びの音”でした。
クルマは「身近すぎる存在」だったからこそ、惹かれた。
高級車に囲まれて育ったわけではありません。
タクシー、営業車、実用的で“働くクルマたち”が、私の原点です。
でもそのぶん、私は「美しさ」だけでなく、「道具としての強さ」や「機械としての使命」にも魅力を感じるようになりました。
動力性能、整備性、耐久性、設計思想──
そういった“現場目線”を大切にしたい。
そんな想いから、このブログは生まれました。
ブログに込める、父への敬意と自分の探究心
このサイトは、職人として生きた父への尊敬と、
自分自身も“言葉で車の魅力を組み上げる職人”でありたいという願いを込めています。
単なる情報の羅列ではなく、車という存在が持つ「物語性」や「人間味」を伝えられる場所にしたいと考えています。